『官僚との死闘七〇〇日』の長谷川幸洋さんが月刊誌「現代」で正体明かす!

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こんにちは。ビジネス出版部のからまるです。

月刊誌「現代」の超長期連載に「政界ディープスロート」という政治情報記事があります。一般ニュースでは報道されない(報道できない)極秘情報が、まさにディープスロートとなった代々のベテラン記者を中心に、国平修身なる匿名ペンネームで書かれるのですが、本日発売の10月号で、なんと前代未聞、その著者がついに実名を明かしました。『官僚との死闘七〇〇日』の著者である東京新聞論説委員の長谷川幸洋さんです。

214875-2.gifのサムネール画像じつはこの本は、「現代」のその記事にもあるように「政界ディープスロート」2006年12月号から2008年8月号まで長谷川さんが書いたものがベースになっているのです。

実名を明かすというのは、編集部にとってはもちろん、長谷川さんにとっても大きな決断を伴うものだったはずです。かなり議論があるところでありましょうし、それがどういう波紋を呼ぶのか、からまるなどにはとても読めるものではありません。しかし、長谷川さんが、書き手として「私」という主語を得ることになり、まったく新しい次元に突入できたということだけは言えると思っています。主語をぼやかして間接的に書くための取材から、「私」として書く取材に変わることによって、取材相手の態度はそれまでと百八十度変わるからです。

『官僚との死闘七〇〇日』にしても、「現代」のこの記事にしても、著者が取るスタンスは、ジャーナリズムの客観性を毀損するのではないかという意見が多いようです。でも、からまには、それはとても型にはまった議論のように思えます。

ノンフィクションにはいろいろな手法があっていいはずです。「官僚支配」の伝聞情報ではなく、その支配がまさに始まっている現場にいた本人が見たこと、聞いたことについては、ジャーナリストであろうが、学者であろうが、書くべきこと、人に知らしめるべきことを書くしかないのではないでしょうか。それを「ジャーナリストとして、こんな一面的に書いていいのか」と言うのは、批評としては成り立つけれども、それを書こうとする創造の動機に対しては、何の説得力もないように思えてなりません。

先々週、重版のお祝いを長谷川さんとしたんです。そのとき長谷川さんに、予想通り批判がありますね、と話を振ったところ、長谷川さんは、安倍政権当時、元の役所に戻る場所がないリスクを取ってまで真剣に改革に携わっている官僚たちから、こんなふうに言われていたのだそうです。

 

「長谷川さんは、元の居場所に二度と戻れないというリスクはないのですね」

 

だから、この本を出すことによって、ようやくはじめて彼らと同じ地平に立つことができたのだそうです。

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このページは、karamaruが2008年9月 1日 16:42に書いたブログ記事です。

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