パレロワイヤル永田町と日枝神社の公衆トイレ。

|

こんにちは。ビジネス出版部のからまるです。

4月上旬に始まった秋山直紀さんの取材は、ゴールデンウィークを挟んで合計6回に及びました。時間はだいたい正味で2時間半くらい。午後遅めに、秋山さんが事務局長をしている安全保障議員協議会の事務所があるバレロワイヤル永田町の最上階の部屋に行きます。その前に、一階の呼び出しボタンを押すのですが、からまるは一度も部屋番号を間違えたことはありません。その部屋番号は、からまるの誕生日と同じだったんです。

このビルには、1980年代から90年代かけて、自民党のみならず歴代の内閣にまで大きな影響を及ぼした金丸信の個人事務所がありました。お隣の十全ビルと、交差点を挟んだところにある秀和永田町TBRビルには、それぞれ小沢一郎、竹下登の個人事務所があったため、このエリアのことを、竹下派支配の時代を築いた三人の頭文字を取った「金竹小三角地帯」とか「権力のトライアングル」とか呼ばれていましたね。

最初の取材は緊張しましたよ。秋山さんが出版に必ずしも納得ずくとは言えない上に、からまるには秋山さんへの手紙で書いたように防衛の知識がありません。こういった取材の場合、専門分野にくわしいインタビュアーを付けることもあるのですが、今回はそうしませんでした。心当たりの人がいなかったこと、探す時間がなかったこともあるのですが、何より心強い助っ人がいることが、3月の最初の打ち合わせでわかったからでした。この人のことはすぐあとで書きますが、とはいえ自分ですべての質問を考え、自分でその答えを咀嚼して、別の角度から質問し直す態勢で臨んだのですし、相手はともあれ百戦錬磨の強者です。いろいろな場面でいろいろな人に会ってきたからまるですが、久々に気合いが入る取材でした。

しかし、思った以上に秋山さんは饒舌でした。いくら新聞や雑誌が取材を申し込んでも口を開かなかった人物が意外、と思ったものですが、こちらのほうが素顔であることがだんだんわかってきました。初日は1時間半も話が聞ければ上出来くらいのつもりだったのですが、終わってみれば、訪問してからすでに3時間が経っていました。

取材はずっと同じ、応接室の大きなテーブルを挟んで。秋山さんにからまるが向き合い、三角形の一角の位置に助っ人である産経新聞の社会部記者、石塚健司さんが座ります。石塚さんは最初の打ち合わせの席で秋山さんに紹介されたのですが、すでに20年近く、秋山さんとは記者と有力ニュースソースとしての付き合いを続けてきたとかで、これ以上心強い助っ人はいるはずがありません。からまるにはとても思いつかないスルドイ質問を浴びせてもらいました。

この季節は夕方になるとコートが恋しくなるくらい冷え込むことがありました。取材を終えて「金竹小三角地帯」に出ると、ふと用を足したくなって、向かいの日枝神社の脇に昔からある、よくハイヤーやタクシーの運転手さんが利用する公衆トイレがあるのですが、そこに行ったものです。たんに生理的欲求だけでなく、今し方までパレロワイヤルの一室で聞いた話に寒気を覚えたからなのかもしれません。

このブログ記事について

このページは、karamaruが2008年9月16日 14:49に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「秋山直紀独占手記『防衛疑獄』、獄中出版へ!」です。

次のブログ記事は「日本とアメリカを結ぶ狭くて曲がりくねった「けもの道」。」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カテゴリ

月別 アーカイブ

ウェブページ

Powered by Movable Type 6.2.4