青沼陽一郎さんと裁判員本でマラソン打ち合わせ。

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こんにちは。ビジネス出版部のからまるです。

今日の午後は、裁判員本を進行中の青沼陽一郎さんが初校ゲラの著者校を終えたので、タイトル会議を兼ねて長時間の打ち合わせをしていました(それで今日の書き込みはこんなに遅い時間になってしまったのです)。

さて、その結果、タイトルはどうなったのかというと、、

 

裁判員Xの悲劇――裁かれるのは誰か

 

先日しつこく書いたように、裁判員は、調書や法廷では本名で呼ばれず(たとえそれが誰がどう見ても和田アキ子さんであったり、木村拓哉さんであったりしても!)「符号」で呼ばれることになります。からまるが最高裁判所に再度確認したところによると、最高裁はこれこれの「符号」を使いなさいというルールを設けず、事件ごとに裁判官なり裁判官と裁判員の協議なりで自由に決めてよいということで、さらにその「符号」も、「本名ではなく、当事者間で区別がつくものであればよい」と、わりと広く想定しているようでした(だから本当に動物の名前だったり果物の名前だったり、はたまた有名漫画のキャラクターであったりしてもいいのでしょう)。

しかし象徴的な「符号」と言えば、やっぱり「X」でしょう。「裁判員X」というのは、日本人全員の裁判員としての符号という意味でつけました。

そして、その「悲劇」というのは、
・裁判員になりたくない人は、なってしまったことによって起こる悲劇
・なりたい人は、選ばれなかったことによって起こる悲劇
・国家の統制のもとに強制的に意識改革される見えざる悲劇
という複合的な不幸を意味しています。

そういう意味付けの結果として、ミステリー小説のようなタイトルになりましたので、それをフォローするために「裁かれるのは誰か」というサブタイトルを付けました。

「悲劇」という言葉に当の裁判所はどんな反応を示すのでしょうか。

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このページは、karamaruが2009年2月24日 18:53に書いたブログ記事です。

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