どうして耳慣れない「道路独裁」という言葉がタイトルになったのか?

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こんにちは。講談社BIZのからまるです。

星野眞三雄さんの『道路独裁 官僚支配はどこまで続くか』の話、しつこいようですが続けますね。

このタイトルになっている「道路独裁」という言葉、まったく耳慣れないと思います。それもそのはずで、からまるがつくった造語だからです。

最初、タイトルにしようと思ったのは、「道路支配」でした。莫大な道路利権が、田中角栄がつくった「道路特定財源」という装置を通じて政策を支配し、ひいては日本の産業構造を支配している。日本が「土建王国」と化しているのはそのためではないか。そういう意図でした。

でも、何度も原稿を読むうちに、支配なんていう生やさしいものではないなと感じてきたのです。

小泉純一郎首相は、「自民党をぶっ壊す」と叫んで、あれだけの高い支持率の中で自民党守旧派の牙城である道路の改革を掲げました。自民党的な政治文化である「土建王国」を、「無駄な道路はもう造らない」というわかりやすいキャッチフレーズで壊すものだと思っていました。

しかし、国民の圧倒的に高い支持率という、いってみれば議院内閣制最大の政治力をもってしても、この道路利権に手を突っ込もうとして、結局はできなかったのです。道路4公団は民営化されても、採算度外視という指摘も含まれた9342キロもの高速道路を建設する1999年決定の高速道路整備計画は、そのままで通りました。

特定の道路族議員とか、特定の国交省道路局長に力があるわけではありません。たとえば、小泉政権当時の道路族議員の代表格は、古賀誠自民党道路調査会長ですが、もちろん自民党総裁である小泉純一郎の部下にすぎません。道路局長だってどんどん首がすげ変わっていきます。だから、道路族や官僚の「犯罪」といった程度のものではないのです(あえて言えば「原罪」でしょうか)。

つまり道路とは、目に見えないけれども見直しや反論を許容しない、よそ者が入ると斬り捨てられる闇の世界になっている。特定の「支配者」がいるのではなく、道路というものが「独裁状態」をこの国に生んでしまっている――こういう感覚から、「独裁」という言葉が浮かんだのでした。

星野さんは前書きに、こう書いています。

 

「道路建設を求める「政官業」の構造は、地方のすみずみまで重層的につくりあげられ、からみあった糸のようになっている。ある特定の人物が「道路」を絶対的に制しているわけではない。その権力構造は闇につつまれ、「聖域」となり、手を突っ込もうとしてもはね返されてきた。「道路」という存在そのものが「権力」となり、日本を「独裁」しているのだ」

 

「道路」を突破口に、官僚支配の本当の恐怖、改革ができない本当の理由を、まざまざと描き出した傑作です。民主党がこの「独裁」とどう戦うのか、あるいは結局は小泉改革以下に終わるのか、本当に本当に見物です。

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このページは、karamaruが2009年9月10日 13:27に書いたブログ記事です。

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