こんにちは。講談社BIZのからまるです。
「政治主導」を金看板に掲げた政権だけに、民主党政権の閣僚たちの強気発言がニュースになっています。ちょうど昨日、発売になった朝日新聞社記者の星野眞三雄さんの『道路独裁 官僚支配はどこまで続くか』がまざまざと描いているように、「道路」のような聖域になっている行政の暗部があるわけですが、それにどこまでメスが入れられるのでしょうか。
一昨日、お目にかかったある専門家の方は、民主党政権には、元役人や弁護士など、官僚と言語世界を共有できる人が多い、つまり霞が関用語が理解できる人が多いので、
今までになく完璧な「官僚政権」になる
と喝破していました。からまるは思わず膝を打ってしまいましたが、さてどうなりますか。

いま、1回目を読了して、このコメントを書き始めました。苦い読後感です。官僚と族議員の固いセメント板に閉じ込められる窒息感、あるいは、敗北感を感じていると言ってもよいかもしれません。
見事な力作を世に出されたことに敬意を表します。民営化委員会に密着し、インタビューを重ね、資料を読み込みながら記事を書かれた記者にしか書けないドキュメンタリーであり、同時に、単にジャーナリスティックというのでなく、償還主義、プール制が無際限の道路建設を進め、上下分離で新しい特殊法人を作ったことで民営化は完全に骨抜きにされた、という政策破綻の本質から、様々な状況が見事に整理され記述されています。委員の田中さん、松田さん、川本さんの頑張りに比して、財投機関の専門家として時代の寵児となった猪瀬氏のブレかた、小泉首相が改革のポーズを示しながら結局権力の調整に留まったことが浮き彫りにされ、ブレやポーズに対する星野さんの辛辣さと妥協のなさは、権力に対する批判はかくあるべき、と心を揺さぶられました。
同時に私が思うのは、私たちに苦味、窒息感、敗北感を味あわせる官僚と族議員が得するものは何か?ということです。利益?権力の優越感?しかし、車の走らぬ道路をつくり、自然とコミュニティを破壊することが彼らの勝利なのでしょうか?
私が『道路独裁』というタイトルにひかれ、どうしても読み通そうと考えたのは、私が自動車の安全問題に取り組んでいるからです。「環境」が声高に議論されながら「安全」が二の次にされるのはなぜか?現実に安全車開発をおこない、また、交通被害者の方とコンタクトする中で、この疑問はいよいよ深くなってきました。『道路独裁』を読みながら、私の頭の中で、何度も「自動車独裁」という言葉が浮かびました。
このコメントは、第1回目の読了直後の感想とお受け取りください。再読して、考えを深めたいと思います。この本が、多くの読者の反響を生むことを確信し、また、新政権の政策形成の指針となり、日本の政治・経済・社会の本来の革新の重要な礎になることを期待します。
小栗先生、たいへんご丁寧なコメントをどうもありがとうございました。
ご指摘の通り、道路族議員と国交省がそこまでして守りたいものは一体何なのか、シロウトの私も呆然としてしまいます。
いつも彼らは「国民との約束があるから」と言い立てるようですが(いま話題の八ツ場ダムでも)、本当に国民のほうに顔を向けているのでしょうか。
疑問は尽きません。