『電子書籍の衝撃』の「日本の出版文化はなぜダメになったのか」に編集現場的違和感アリ。

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こんにちは。講談社BIZのからまるです。

昨日、触れました佐々木俊尚さんの『電子書籍の衝撃』(ダウンロード公開版、ディスカヴァー・トゥエンティワン刊)は、今起こりつつあることの全体像がとてもよく俯瞰できて、しかも冷静なロジックが展開されていい本なのですが、第4章の「日本の出版文化はなぜダメになったのか」の部分部分にちょっとずつ違和感を抱きます。

近年の書籍売り上げのピークは1996年でした。佐々木さんはその理由に80年代ニューアカ・ブームの記号的消費の名残があったと書いておられます。たしかにからまるの現場感でも、たとえば1994年の9月に出した岩井克人さんの『資本主義を語る』(現在はちくま文庫)は、当時はオシャレな女の子が持っていてもカッコよく決まる本だったと思います。難解な内容でしたが、数万部売れたのです。

でも、それよりももっと大きな理由は、冷戦の終焉だったのではないでしょうか。それによって新しい論客が一気に論壇に登場しました。1989年の昭和天皇崩御、1990年のバブル崩壊もあって、90年代前半は日本人が「新しい日本」について熱い議論を戦わせた時代でした。からまるも、『新しい世界秩序と日本』(長谷川慶太郎さん、1990年)、『世界の見方・考え方』(大前研一さん、1991年)、『日本存亡のとき』(高坂正堯さん、1992年)という本を出しました。こうして振り返って見るといかにも当時の時代感があるタイトルで、今ならあり得ないでしょうね。

しかしそれは、半ば以降から変わってきました。1995年の地下鉄サリン事件、1997年の神戸連続児童殺傷事件が起きた後、からまるの記憶ではこれらの事件を受けて作家の村上龍さんが「文藝春秋」に「もはや「日本」や「日本人」で時代を語ることはできない」という趣旨の文章を発表して衝撃を受けました(記憶ちがいでしたら申し訳ありません)。冷戦の終焉が世界を一周したあとに、国内へ、さらに人間の精神へと人の目は内向し、それと同時にテレビ東京の深夜アニメ「エヴァンゲリオン」の大ヒットが一種のサブカル・ビッグバンのような現象を引き起こしました。からまるはこの頃、『東大オタク学講座』(岡田斗司夫さん、1997年、現在は講談社文庫)という本を編集し、意外なベストセラーになりました。

からまるの現場感では、サブカル・ビッグバンによってさまざまなサブカルが一般のあいだに拡散していったことと書籍売り上げのピークアウトが一致して起きていたような気がしてなりません。「本を読む」という精神的な行為は、その対象を多様化させたのだと思いますし、そのことに出版社もかなり自覚があったと思うのです。

 

明日は、『電子書籍の衝撃』のもう一つの違和感について。何度もネタにしてスミマセン。。

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このページは、karamaruが2010年4月13日 16:00に書いたブログ記事です。

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