池田晶子さんのエッセイ「著者と編集者」に同意と冷や汗。

|

こんにちは。講談社BIZのからまるです。

いま進めている仕事の資料として何気なくパラ読みしていた故池田晶子さんのエッセイ集『睥睨するヘーゲル』(1997年講談社刊)に「著者と編集者」という見出しを発見し、読みました。「編集者には、さんざん泣かされてきた」という書き出しで始まる4ページほどの短い文章ですが、最近、からまるよりずっと先輩にあたる世代の編集者たちが回顧録を出したり、あるいはそうした世代の編集者が亡くなって偲ぶ文章をお付き合いがあった作家の方が書いたりしているのを見て、なんとなく「編集者って、そんなにエラいのか」と疑問を抱いていたからまるは、思わず同意し、かつ冷や汗をかきました。

 

「編集者が編集者の仕事を解説したり宣伝したりしている本や日記はよく見るけれど、著者が編集者について述べているそれらは、全く見かけることがないということ。これ、変だと思いませんか。変だけど当然なのだ。なぜって、あって然るべきその種のものも、必ずや、当の編集者の手を経ることなしには、この世に出て来られやしないのだから。(中略)でも「言論の自由」が御旗の編集者諸氏、これは、ちとズルイのではないかな」

「編集者はサービス業である。著者と読者の間を手際よくサーブする黒服の仕事である。食べるのは彼ではない。この基本的な心得をわかっていない人がとても多い。極端なのになると、自分が両者を「仕切っている」と本気で思っている。著者に威張り、読者を侮り、他人の褌でもってそこにふんぞり返っているその人は、両者がいなけりゃなにひとつできないはずなのにね」

 

他にも全文引用したいくらい編集者が聞くべき言葉が連ねられています。いや、けっしてからまるは、立派な先輩編集者たちのことを言いたいのではないのです。

じつはからまるは、この本が出るもっと前、まだ池田さんがデビューしたばかりの頃、一度お会いしたことがあるのです。そして、それは今まででもっとも冷ややかな出会いとなってしまいました。きっと池田さんは、からまるの中にあった、こうした驕りを瞬時に見抜いていらっしゃったのだと思っているのです。

このブログ記事について

このページは、karamaruが2010年6月28日 17:00に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「本田圭祐選手の「思ったほど喜べないのが自分で不思議」をドクター苫米地式に読み解くと。」です。

次のブログ記事は「誰でもプロの作家になれる唯一の方法。」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カテゴリ

月別 アーカイブ

ウェブページ

Powered by Movable Type 6.2.4