現実の政治と「ハーバード白熱教室インジャパン」との間の耐えられない乖離。

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こんにちは。講談社BIZのからまるです。

8月25日に東大安田講堂で行われた「ハーバード白熱教室インジャパン」。昨日の続きになりますが、とくにヒートアップした戦争責任の議論を聞いていて、からまるも発言したくなったことがあるのです。前の世代の行動に今の世代は責任を負うべきかという論点で、からまるは負うべきだと考えていて、こんなことを言いたかったのです。

「人は誰も生まれる時代、生まれる場所を選べない。そう考えると、当然いまの時代を生きる私が過去の世代の犯罪に責任など負う必要はないと考えるかもしれないが、じつはそうではなく、むしろだからこそ責任があるのではないか。なぜなら、何も選べずに生まれた根無し草が一人の理性的な人間として育つ上で、そのときの周囲の環境はもちろん、その時代が過去から継承しているさまざまな文化や歴史が決定的な影響を及ぼすからだ。たまたま生まれてきたに過ぎず、それらなしにいまの私は存在しないのだから、たまたま戦争中に責任を負うべき年齢になる時代に生まれたけれど反戦主義者だった人が責任と無関係とは言えないように、責任をまったく負わなくてもいいとは言えない。ただしその前提には、責任を正しく認識するための、正しい学びが必要となる」。

ではどんな学びが必要なのか。これも大きなテーマとしてからまるは仕事で追求したいのですが、それは道徳の問題ではないのでさておいて、実際の会場は挙手する人が多すぎて、とても指名されるような状況ではありませんでした。

それにしても、東大募集枠が1日でいっぱいになるなど1000人に上る参加者が積極的に集まり、あれほど激しいディベートや意見表明が噴出したのはどうしてなのでしょうか。それは「政治哲学」を議論することなく続く現実の政治に対する大きな不満が根底にあるように思えます。

昨日の朝日新聞の「論壇時評」で東浩紀さんが、サンデル特集をした「週刊東洋経済8月14日21日合併号」掲載のいくつかの寄稿を評して「政治哲学の再導入が政治に必要」と書いていましたが、頷けるものがありますね。「ハーバード白熱教室インジャパン」が行われたちょうどその日、民主党内では小沢一郎前幹事長が菅政権に対する、とくに官房長官人事に不満があって代表選に出る決断をしたそうです(翌朝に記者団に表明)。政策上の対決ではなく、「あの官房長官を外せ、いや外さない」という対決では、その人事がどんなに政策上の対立の象徴だったとしても、国政上の最重要・最優先の問題とは思えませんよね。「ハーバード白熱教室インジャパン」に集まった人たちとの乖離を強く感じます。

その乖離に鋭く突っ込んでいく新刊を、9月の中旬に出版します。名付けたタイトルは、

 

『ヘーゲルを総理大臣に!』

 

からまるが今ノリノリに編集している本なのです。この奇妙な本について、来週月曜からお話ししていきます!

このブログ記事について

このページは、karamaruが2010年8月27日 17:52に書いたブログ記事です。

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