本当はコワいエッセイというもの。

| | コメント(0)
こんにちは、からまるです。

今日は講談社エッセイ賞の候補作の最終社内選考がありました。からまるは今回、はじめてエッセイ賞の社内選考を経験しまして、ふだんエッセイというものを自ら読もうと手に取ったことがない人間が一度に浴びるようにこうした本を読むのはじつに勉強になりましたね。得難い機会であります。最終選考のためにからまるは11冊の本をこの数日間でざざざ、どどどと読んだわけですが......。

いやはやエッセイというのはコワいですね。読むのがコワいんじゃありません、書くのがコワいんです。

エッセイの定義というと難しいのですが、ひじょうに単純化して言うと、身の回りの事実をもとに、すぐれた構成と、すぐれた文章で、読者に何かを伝えるために書かれたもの、でしょうか。ノンフィクションと違うのは、おおむね身辺雑記的であることです。また書き下ろしは滅多になく、たいていが雑誌連載をまとめたものなので、一貫性とかストーリー性、構成そのものは今一つのものが多い印象です。

だからきっと皆さん、肩の力をそれほど入れずに書いていらっしゃるのでしょう。

であるがゆえに、書き手の肉体、肉声、もっと言うと品性が見えてしまうんです。エッセイを雑誌に連載できるくらいですから、書き手には作家に限らず著名人が多い。へええ、この人がと思って読むと、へ? あんなすぐれた活動をしている人が、こ、この程度の時代認識?なんて読後感を抱くものもありました。でもご本人はどうやら得意げに書いている。ムフフン、という鼻息が聞こえてきそうだけど、こ、この程度で?というイタさがある。

きっと周囲の人々が「さすが、おもしろかったよ」とおっしゃるからでしょうけれど、本人にちゃんと言ったほうがよくないか?

逆にとてもすぐれているものもあります。さすがこの人は大人だな、エッセイでも抜かりがないな、と思わせます。誠実なお人柄がよくわかるエッセイもあるのです。暴露があるとか、ここまでプライバシーを明かしていいのかという基準ではなく、ことほどさようにエッセイを書くというのはご本人が思っている以上に自らを裸にするものであるようです。

コメントする