2012年2月アーカイブ

こんにちは、からまるです。

とんでもなくスゴい新人が現れました! トップ3に入る総合商社に務める37歳の現役社員が書いたビジネス小説です。

じつは――。

かれこれ1年近く前のことです。本作の元になる分厚い原稿が、からまる宛にいきなり届いたのです。からまるが経済小説の編集を手がけていることが検索で引っかかったのかもしれませんが、指名で送られてきた、いわゆる持ち込み原稿というものです。

しかもその分量たるや、400字換算でたっぷり1000枚分もあったのです。おいおい、非常識極まりないよ! そんなの読んでいるヒマはありませんと、傲慢なからまるは多忙にまぎれて1ヵ月ほど机上に放置していました。

ところが、たままた手すきになったときに読み始めるや否や、すっかり打ちのめされてしまいました。原稿の持つ、触れたら痛いほどの熱量というか、これを伝えたいという強烈な意思が、小説の登場人物たちが戦わせる言葉の量と激しさとなって圧倒するのです。小説や経済書といったジャンルを超えて、からまるは、こういうものを読んだことがありませんでした。

ともあれ、まず著者に会わなくては。ほったらかしてごめんなさいと連絡を取り、ある喫茶店でお会いしました。早速いちばん訊きたかった質問、どうして発表のあてもないのに、こんな大量の原稿を書いたのかを訊きました。その答えはこうでした。

「自分がしてきたビジネスは、うまくいった時もうまくいかなかった時もある。うまくいかなかった時、ではどうすればうまくいったか、一生懸命シミュレーションして物語にした」。

毎晩のように自分のビジネスを反省してストーリーの核を作り、それを解決し得る主人公を創造したというのです。

その後、何度も打ち合わせや原稿のやりとりを重ね、ようやくそれが『マントラを掲げよ――信念を戦略に変える力』というタイトルの本になりました。「マントラ」というオウム真理教でも使う宗教用語をタイトルにするなんて、ビジネス分野の本ではあり得ないかもしれません。社内では反対意見がありました。でも、この言葉でしか、物語の中で奮闘し、うめきながらも夢を追いかけるビジネスマンたちの心の奥を読者に伝えられない。からまるはそう考えました――。
こんにちは、からまるです。

先日、久しぶりに編集部を訪ねてきた口悪後輩と雑談しました。相変わらず先輩を先輩とも思わぬ口の利き方に内心むかっ腹を立てつつも、忙しい手元の作業を一秒も止めることなく話を聞く大人の度量の深さを見せます。

「先輩、今日もヒマそうですね」

むか。

「見ろよ、こうして作業をしてるだろ」

「そのとおり、それは作業じゃないですか。もっとヒット企画をつくることを考えたらどうすか」

むか。

「ヒット企画なんてそうそう考えつかないものなの。だからヒット企画というの」

「なに考えつかない言い訳してるんすか。ノウハウ書だって、話し方みたいなよくあるテーマでも書き手が上っ面じゃないところまでとことん書けばベストセラーになるじゃないすか。なんてことない日常にもヒット企画なんてたくさん転がってますよ」

むかむか。

「みんな上っ面じゃないところまで書いているんだよ。それが上っ面だと思うのは、何かちがうことを求めているんだろうけれど、それだと迷惑かかる人が出るだろ。犯罪すれすれの裏ノウハウだって、もしそれを書いたら、その裏ノウハウを使わなければ人生どん底に落ちる人の出口をふさぐことになるわけだし」

「だから、そういう平ったい発想が先輩のダメなところなんすよ! 裏がオモテになればいいんすよ!」

「オセロかよオマエは」

「考えてみてくださいよ、裏を使わないといけないことをオモテにするっつうことは、新しい仕組みをつくるってことですよ。だから、仕組みをつくる人は全部オープンにできるんすよ」

ふむ。

「で?」

「それを探すのが先輩の仕事じゃないすか。はやく作業なんて終わらせて今のお礼にビールおごってくださいよ」

...お礼するほどのことじゃない気がするが、そろそろ、そうしようかな。
こんにちは、からまるです。

来週日曜日は3月11日、東日本大震災から1年を迎えます。この1年は、早いような、遅いような、なんとも時間感覚を失うような1年だったように思います。政府はこの日、発生時刻を挟んで14時半から15時半まで国立劇場で追悼式典を行うようですね。からまるはこの日、日曜日ですが取材などの仕事をする予定です。

アマゾンが「特集:東日本大震災」というページを作り、大震災関連の「ドキュメンタリー」書として、既刊書とこれからの新刊を全部で37冊ピックアップしています。やはりたくさんの記録と記憶が本になって留められているんですね。千葉望さんの『共に在りて 陸前高田・正徳寺、避難所となった我が家の140日』もそのうちの1冊に取り上げられています。
こんにちは、からまるです。

昨日のエントリの続きです。陸前高田出身の写真家に畠山直哉さんがいらっしゃいます。ひじょうに視野の大きな写真で著名な世界的写真家ですが、震災後に故郷・陸前高田で写真を撮っているのです。その一連の写真は、2011年10月1日から12月4日にかけて恵比寿の東京都写真美術館で開催された個展「ナチュラル・ストーリーズ」で展示されました(図録も発売されています)。

この個展に千葉望さんが行き、会場で一枚の写真に目が釘付けになったそうです。それは海に半分沈み、鍵盤が水上に顔を出しているアップライトピアノの写真でした。千葉さんは「この写真を『共に在りて』の表紙に使えないだろうか」という案を出したのです。

共にありて.jpg
し、しかし。畠山さんのような高名な写真家の写真を表紙に使うことなどできるのだろうか。連絡先を探し出し、ギャラリーの方を通じておそるおそる趣旨を伝えると、今回は協力するというお話をいただきました。やった! 思いは通じるものですね。

偶然にも、畠山さんの写真工房は、からまるの自宅のすぐ近くにありました。千葉さんといっしょに訪れた工房で、からまるはその写真を初めて見ることになりました。いやー、なんという力のある写真。感動です。畠山さんと千葉さんは陸前高田の話に花を咲かせていました。

その写真を使った表紙が、これなのです。装幀してくれたのは、文京図案室の三木俊一さん。写真を生かすために文字を全部、下のほうに集めるという大胆なデザインなのに不自然さを感じさせない、すぐれた感性だと思います。書店さんではどんなふうに見えるのでしょう。3月9日の発売が楽しみです。
こんにちは、からまるです。 

千葉望さんの『共に在りて 陸前高田・正徳寺、避難所となった我が家の140日』の帯には、これもタイトル同様、千葉さんの発案で、「愛別離苦の現場で人々の声を聴く」というコピーを入れました。「愛別離苦」とは重い言葉です。からまるは先日書いたように、1週間前に家族同様にして15年間を共に過ごした愛犬を亡くしたもので、この言葉に胸に迫るものを感じます。

千葉さんが書いた「あとがき」から、この言葉とタイトルを選んだ理由について書かれた部分を抜粋しましょう。

「「四苦八苦」という言葉をご存じの方も多いことでしょう。もともとは仏教用語で、
「生老病死(しょうろうびょうし)の四苦に、
「愛別離苦(あいべつりく)」(愛する者と別れる苦)
「怨憎会苦(おんぞうえく)」(憎い者と会わなければならない苦)
「求不得苦(ぐふとくく)」(不老不死や物質を求めて得られない苦)
「五陰盛苦(ごおんじょうく)」(迷いの世界として存在するすべては苦)
を加えて八苦となります。
東日本大震災の現場には、「愛別離苦」の理(ことわり)そのままに、突然愛する者と別れなければならない苦しみに満ちていました。それを目の当たりにして、私は耳になじんでいたはずの「四苦八苦」という言葉の深さに打たれたのです。その場で共に在ることが仏教者、宗教者の役割なのだという実感が心にしみるようでした。向かい合わせで語りかけるよりも、同じ方向を向いて隣にいたい。そんな気持ちをタイトルに込めています」

「怨憎会苦」などという言葉があったんですね。ともあれ、すべてじつにもっともで、仏教というのは人間の性(さが)を見抜いているものだと思います。そういえば、焼け残ったノド奥の突起部分の骨の形状を指して「喉仏」と名付けるのもすさまじい死生観だと、先日、愛犬を荼毘に付してお骨を拾ったときに、ナイーブにも思ったものです。

むろん、肉親や子供、親友、恋人を理不尽に、そして突然に失う悲しみは、からまるにはとうていわからないほど深いものなのでしょう。とうてい受け容れようがない死がたくさんあったのだと思います。それをどのように表現した表紙を作るべきか。イメージが湧いていなかったからまるにヒントをくれたのは、またも著者の千葉さんだったのです――。
こんにちは、からまるです。

東日本大震災の被災地には、仏教やキリスト教などの宗教・宗派を問わず、多くの宗教関係者が訪問しています(中には布教活動まがいのことも行われているとか)。『共に在りて 陸前高田・正徳寺、避難所となった我が家の140日』は仏教者の事例を描きます。

その一人が京都の浄土宗の若い僧侶である岸野亮哉さんです。著者の千葉望さんが初めて岸野さんに会った2011年7月時点で、陸前高田などを13回往復して被災地支援にあたっていたそうです。

あまりの大災害を目の前にして、無力感にさいなまれかねない中、千葉さんは岸野さんに「お坊さんでよかったと思いますか?」と質問します。7月には「どうやろ、考えたことないですね」というお返事だったものが、今年1月に同じ質問をしたときは、「坊さんでよかった」とおっしゃったそうです。僧侶にも被災地支援の経験は変化をもたらしているのかしもしれません。

死者・行方不明者が総計2万人近くに上り、家族全員が亡くなる例もあるなど、被災地では必要な弔いができない日々が続きました。斎場が不足し、わざわざ東京までご遺体を移動して荼毘に付したことも多かったようです。読経と弔いを必要とした遺族が大勢いたのです。こんなとき、僧侶は被災者のために何ができるのか。これがこの本のメインテーマなのです。

千葉さんは、何か大きなことができるわけではない、ただ寄り添うしかできない、共に生きるしかできないのではないか、と本に書いています。被災地に生きる宗教関係者の気持ちを表現する言葉。それが「共に在りて」だと千葉さんがひらめき、本のタイトルになりました。真宗の根本原理でもあるそうです。「絆」よりも深い言葉だと思います。
こんにちは、からまるです。

昨日エントリの陸前高田・正徳寺訪問記の続きです。

「秘境」というだけあって、同乗の千葉望さんのナビゲートがなければ、けっして到着できなかったであろうと思われるほど奥まった場所にあるのが正徳寺さんです。しかし、この奥まった場所にあったことが、被災者の方々にとってはよかったのかもしれません。お寺からは海も、津波で破壊された街も、まったく見えないのです。お寺にいて、美しい中庭を眺めている限り、津波の被害があったことなんて嘘のような穏やかさ。いつも瓦礫の山と直面しなくて済むのです。

千葉さんといっしょにお寺に上がります。弟さんの千葉達さん(ご住職の了達さん)にご挨拶し、取材を始めました。坊守(ぼうもり)を務める義妹さんもいらして、じつにさまざまなお話を聞くことができました。また、この小友町両替地区の自治会長兼防災会長の鈴木勇吾さんにも、住宅地図を見ながら、具体的にどんな行動を取られてきたのか、つぶさにうかがうことができました。これらの取材は、『共に在りて 陸前高田・正徳寺、避難所となった我が家の140日』執筆の出発点となりました。

夕方には、庫裏で被災者の皆さんとやや時間遅れで、夕食をいただきました。マスのソテーをメインにした、それはとても美味しいお料理でした。あのときは本当にごちそうさまでした! 義妹さん他、女性の方々が働く広い台所は、意外なほど笑いが絶えなかったですね。

支援の物資が、庫裏や台所のそこらじゅうに山積みになっていました。からまるも支援というには大げさですが、会社からこっそり持ち出してきた新刊書や漫画雑誌の最新号を、庫裏の一角にある本棚に置いてまいりました。

お寺には飼い犬のジュンと、飼い主を失って迷ってきた猫たちもいました。動物も交えて、一時的に大きな家族になったようなものだったのでしょうか。この訪問したときの様子を目に浮かべながら、からまるは原稿を読みました。むろん正徳寺の風景を知らなくても、そのときの姿がじゅうぶんに伝わる本になっていると思います。
こんにちは、からまるです。

『共に在りて 陸前高田・正徳寺、避難所となった我が家の140日』の舞台である正徳寺さんは、陸前高田市小友(おとも)町の字両替というところにある真宗大谷派の寺院です。2011年3月11日、陸前高田市を襲った大津波は、標高40メートルの高台にある正徳寺本堂を少し下った墓地の真下にまで及びました。創建400年の歴史でも初めてのことでした。

市役所が作成した小友地区津波防災マップで、この両替地区の一次避難所に指定されていたのは、標高10メートルにある両替公民館でした。津波が来たら両替公民館に逃げるというのが住民共通の約束事だったのですが、今度の津波では浸水するだろうと察知した地域の自治会長兼防災会長の鈴木勇吾さんという方は、近くの鉄工所の従業員の助けを借りて、両替公民館に集まっていたお年寄りたちを、正徳寺よりも高地にある岩伊沢公民館に引っ張り上げたそうです。この行動がなければ、どうなっていたか。両替公民館は直後に浸水してしまいました。

しかしその岩伊沢公民館は手狭で、ストーブもつけられない。避難していた正徳寺の御門徒の相談もあって、正徳寺の庫裏を開けることになったのが、正徳寺が避難所となったきっかけでした。一時は150人もの方がここに集まっていたそうです。

じつは、からまるは、この正徳寺さんを千葉さんといっしょに訪れたことがあるんです。2011年6月23日のことでした。すでに東北新幹線は全通しており、からまるは新幹線で一ノ関まで行き、そこで千葉さんと待ち合わせ、駅前のレンタカーで陸前高田に向かいました。小友町は陸前高田市の東部にあり、一ノ関から市内に入ると、整理が終わった瓦礫があちこちに山のように積まれている光景を見ながら正徳寺に向かうことになります。「うちは秘境の寺」と千葉さんたちが冗談を言っていたというくらい、本当にわかりにくいところに正徳寺はあります。

もっと白状すると、じつは震災後1ヵ月足らずの4月21日にもからまるは陸前高田に入っています。朝7時発の臨時で運航していた羽田発仙台行きの全日空便を利用し、仙台空港周辺の息を呑むような被害状況を見つつも、9時過ぎに市内でレンタカーを借りて行けば間に合うだろうと思ったのが甘かったですね。山中はいいんです。しかし海岸沿いの道はあちこちで寸断され、ナビゲーターがあってもまったく役に立たないのです。結局、陸前高田市には着いても、肝心の正徳寺に着く前にレンタカーの返却時間が迫ってきてしまい、泣く泣く仙台に引き返したのでした。

だから6月に訪れたときのからまるは、「あのとき辿り着けなかった人」という、ちょっと情けないイメージだったのです。でも本当にここは「秘境」なんですよ――。
こんにちは、からまるです。

今年の3月11日は日曜日です。それまでに本を発売しようと考えたら、木曜日の8日には取次店に搬入しないといけません。各出版社から東日本大震災1年の区切りに合わせてさまざまな本が出るようです。からまるがいる出版部だけでも、3月8日取次搬入、9日発売の震災関連本が、千葉望さんの『共に在りて 陸前高田・正徳寺、避難所となった我が家の140日』以外に2冊あるくらいです。

それらの本の中でも、『共に在りて』のように震災の当事者(正確には震災の当事者の親族)が執筆する本は、ごく限られることと思います。からまるが千葉さんと知り合ったのは、じつはぜんぜん趣がちがうアート系のお仕事の関係で、合間の雑談でご自身が陸前高田の出身であること、ご実弟が実家の寺を継いで住職を務め、陸前高田市の職員でもあること、お寺が避難所になっていることを聞いたのです。東日本大震災が起きて、書籍編集者として何かしないといけない、でもできることはまずは本を出すことしかないと考えて、からまるは震災後最初の3月22日のプラン会議で、当事者にしかわからない視点のノンフィクションを、震災1年の刊行をメドに千葉さんに書いてもらうというプランを出したのでした。

千葉さんは仏教大学通信教育学部の大学院で修士号を取っています。それも企画立案の大きな理由でした。ご実家がお寺で、ご実弟がご住職、そして著者が宗教学修士。当事者にして、かつ仏教者の視点で、しかも雑誌「AERA」のシリーズ記事「現代の肖像」をたくさん書いている人物ルポの名手である千葉さんが書けば、これはもう他の誰にもマネのできない原稿になるだろうと、からまるは思いました。

それは実現したと思います。

本の冒頭は3・11当日なのですが、その昼前に、千葉さんは仏教大学から修士論文の審査通過の通知書を受け取ったのだそうです。努力が報われたうれしさをいちばん早く伝えた相手が、陸前高田市の正徳寺にいる弟さん夫妻でした。弟さんからは昼休みの時間帯に「おめでとうございます。お仏壇には報告しておきます」という返事がメールで届いたそうです。その2時間後の出来事がなければ、とても満ち足りたご家族とのやりとりだったのだと思います――。
再びプライベート報告です。

我が家のラブラドール・レトリーバーが、今日の15時半頃、天国に旅立ちました。15歳2ヵ月半でした。自力で立てなくなり、からまるの老犬介護が始まって7ヵ月半です。獣医さんも驚くほど頑張りました。

たまたま渋谷で打ち合わせが終わった直後に家から連絡があり、タクシーに飛び乗って帰宅しました。まったく動かなくなった愛犬と再会するのは、こんなにも寂しいことだとは。その後、動物霊園に明日の立ち会い荼毘の予約を入れ、近くの花屋でいくつも花を買って体にかけ、顔を見ながら酒を飲んでお通夜です。

明日の日記はお休みします。
こんにちは、からまるです。

3月は新刊ラッシュなのです。すでに予定に組み込まれている書目が4冊、さらにひょっとして緊急出版で3月に間に合うかもしれない書目が1冊で、最大5冊になりそうです。もちろん、からまる史上最大数で、たぶんこれ以上はムリだろうと思います。まあ1月2月がゼロなのだから、これくらい出して当然と言われれば、その通りかもしれませんが。

最初に出る本は、千葉望さんの『共に在りて 陸前高田・正徳寺、避難所となった我が家の140日』です。長いサブタイトルからもわかるように、著者のご実家が陸前高田市の小友町にある真宗大谷派の正徳寺で、あの東日本大震災の大津波で陸前高田は広範囲にわたって浸水し、その被害は筆舌に尽くしがたいものがあったのですが、正徳寺さんは幸い、お寺のすぐ下で浸水が止まり、お墓の一部が揺れが壊れたほかは無事だったのでした。

このお寺は400年以上続き、現在のご住職は何と19代目で、著者のご実弟です。この方は陸前高田市の職員でもあり、震災当時は防災担当エリアであるご実家周辺の避難誘導のため文字通り必死で津波の到来時間と戦っていました。著者の望さんは東京にいたのですが、一時全く連絡がとれず、刻々と明らかになる被害状況がニュースで伝えられるたびに精神的にパニックに陥っていきました。

この本はあの当日の、当事者でなければ理解できない心根を克明に描いて始まります――。
こんにちは、からまるです。

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昨年クスマス直前に刊行したパトリック・マックールという謎の作者による、からまる編集史上最ヘンテコ本『ザ・シークレットローズ ノーベル賞作家イェイツが詩に封印した世界の破滅の予言』が、意外と言ったら作者に怒られそうですが、まずまずの売れ行きなのです。こういう本にしては健闘していると言っていいくらい。

世の中には、からまると同じようにヘンテコなことが気になる人が多いようです。とくに若い、と思われる女性の方に。本には作者のメールアドレスを載せているのですが、そのアドレスにこういうメールが来ているそうなのです。

「書店で薔薇と綺麗な題名に手を取り、一目惚れして読み引き込まれました」

「何気なく手にして読みました。いろんなことが少し腑に落ちた気がしました」

二番目の方は、この本を読んでから月が気になって仕方ないと書いています。からまるもよく月を見上げるようになりましたね。苦境に立たされているとき、あるいは自分の運命がよくないほうに回りかけているんじゃなかいと思うときって、誰にでもありますよね。この世で生きる「シナリオ」と、そのときの「自分」の関係を「法則」化し、先の人生のことが予想できる『ザ・シークレットローズ』を読んでもらえば、人生に強さを取り戻せるのではないかと思います。苦境からはいつかは脱し、悪いほうに回りかけた運命はいつかは逆にいいほうに回っていくのが、誰にも変えられない「法則」であることがわかるのですから。

レコチョク・ショッピングという女性のお客さんが多いウェブサイトでは、講談社本としてアイドル本と互角で検索に出てきます。ここにも注目されている跡があるようです。
こんにちは、からまるです。

この日記を開始して初めて1ヵ月もお休みすることになりました。もうすっかり忘れられているような気がしますが、とにかく皆さんに読んでいただけるような情報を盛り込んで、なんとか挽回していきます。

......が、今日のところはプライベート報告です。

家族同然に暮らしている15歳のラブラドール・レトリーバー。この老犬介護は今も続いています。ただし、彼はもう食べることも飲むこともできず、毎日、近所の動物病院に通って受けている点滴が唯一の生命線です。体重はすっかり落ち、おそらくもっとも元気なときの半分以下になってしまっているでしょう。抱きかかえると、まるで骨格を抱いているような感じです。身体は骨と皮ばかり。でも目線はこちらをしっかり見てくれます。天晴れな生命力です。正月過ぎまでは、「あと1週間くらいかも」「いつ息を引き取ってもおかしくない」と病院で診てくれるいろいろな獣医さんに言われましたが、もう誰一人、そう言う人はいなくなりました。獣医さんさえ驚くような生命力のようです。

からまるにとって、子犬の頃から飼った犬は初めてです。こんなに犬にいろいろと教わるものだとは思いませんでしたね。最後まで生きようとする力には頭が垂れる思いです。人間だったら絶望して胸が塞がれるような状況なのに。だからこれからも徹底して介護に付き合っていきます。彼は声を出せなくなりましたし、嘔吐の頻度がかなり減ったので、以前のようにそれらが原因で起こされて、睡眠時間が2時間とか3時間単位の細切れになることはなくなりました。その分、仕事時間を少しずつ元に戻しています。

今年に入ってから、新しい企画の着手の打ち合わせを全部、ずっとリスケしてきましたが、来週火曜からは再スタートします。一度もしなかった仕事関連の飲み会も来週金曜から再スタート。そんなわけで、この日記も来週から本格スタートします。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします<(_ _)>
こんにちは、からまるです。

今日から日記再開の予定でしたが、まだまだそういう状態に至りません。

1週間後の2月10日には必ず! どうか温かい目でお見守りくださいませ<(_ _)>

小ネタについては引き続き、ツイッター版で!

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