こんにちは、からまるです。
東日本大震災の被災地には、仏教やキリスト教などの宗教・宗派を問わず、多くの宗教関係者が訪問しています(中には布教活動まがいのことも行われているとか)。『共に在りて 陸前高田・正徳寺、避難所となった我が家の140日』は仏教者の事例を描きます。
その一人が京都の浄土宗の若い僧侶である岸野亮哉さんです。著者の千葉望さんが初めて岸野さんに会った2011年7月時点で、陸前高田などを13回往復して被災地支援にあたっていたそうです。
あまりの大災害を目の前にして、無力感にさいなまれかねない中、千葉さんは岸野さんに「お坊さんでよかったと思いますか?」と質問します。7月には「どうやろ、考えたことないですね」というお返事だったものが、今年1月に同じ質問をしたときは、「坊さんでよかった」とおっしゃったそうです。僧侶にも被災地支援の経験は変化をもたらしているのかしもしれません。
死者・行方不明者が総計2万人近くに上り、家族全員が亡くなる例もあるなど、被災地では必要な弔いができない日々が続きました。斎場が不足し、わざわざ東京までご遺体を移動して荼毘に付したことも多かったようです。読経と弔いを必要とした遺族が大勢いたのです。こんなとき、僧侶は被災者のために何ができるのか。これがこの本のメインテーマなのです。
千葉さんは、何か大きなことができるわけではない、ただ寄り添うしかできない、共に生きるしかできないのではないか、と本に書いています。被災地に生きる宗教関係者の気持ちを表現する言葉。それが「共に在りて」だと千葉さんがひらめき、本のタイトルになりました。真宗の根本原理でもあるそうです。「絆」よりも深い言葉だと思います。