「愛別離苦」という言葉の重さ。

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こんにちは、からまるです。 

千葉望さんの『共に在りて 陸前高田・正徳寺、避難所となった我が家の140日』の帯には、これもタイトル同様、千葉さんの発案で、「愛別離苦の現場で人々の声を聴く」というコピーを入れました。「愛別離苦」とは重い言葉です。からまるは先日書いたように、1週間前に家族同様にして15年間を共に過ごした愛犬を亡くしたもので、この言葉に胸に迫るものを感じます。

千葉さんが書いた「あとがき」から、この言葉とタイトルを選んだ理由について書かれた部分を抜粋しましょう。

「「四苦八苦」という言葉をご存じの方も多いことでしょう。もともとは仏教用語で、
「生老病死(しょうろうびょうし)の四苦に、
「愛別離苦(あいべつりく)」(愛する者と別れる苦)
「怨憎会苦(おんぞうえく)」(憎い者と会わなければならない苦)
「求不得苦(ぐふとくく)」(不老不死や物質を求めて得られない苦)
「五陰盛苦(ごおんじょうく)」(迷いの世界として存在するすべては苦)
を加えて八苦となります。
東日本大震災の現場には、「愛別離苦」の理(ことわり)そのままに、突然愛する者と別れなければならない苦しみに満ちていました。それを目の当たりにして、私は耳になじんでいたはずの「四苦八苦」という言葉の深さに打たれたのです。その場で共に在ることが仏教者、宗教者の役割なのだという実感が心にしみるようでした。向かい合わせで語りかけるよりも、同じ方向を向いて隣にいたい。そんな気持ちをタイトルに込めています」

「怨憎会苦」などという言葉があったんですね。ともあれ、すべてじつにもっともで、仏教というのは人間の性(さが)を見抜いているものだと思います。そういえば、焼け残ったノド奥の突起部分の骨の形状を指して「喉仏」と名付けるのもすさまじい死生観だと、先日、愛犬を荼毘に付してお骨を拾ったときに、ナイーブにも思ったものです。

むろん、肉親や子供、親友、恋人を理不尽に、そして突然に失う悲しみは、からまるにはとうていわからないほど深いものなのでしょう。とうてい受け容れようがない死がたくさんあったのだと思います。それをどのように表現した表紙を作るべきか。イメージが湧いていなかったからまるにヒントをくれたのは、またも著者の千葉さんだったのです――。

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このページは、karamaruが2012年2月23日 17:11に書いたブログ記事です。

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