こんにちは、からまるです。
『グローバル・エリートの時代 個人が国家を超え、日本の未来をつくる』というタイトルにある「グローバル」って、ちょっと古いんでないの?と感じる方もいらっしゃるかもしれません。たしかにグローバル化自体は、ずっと前から日本経済のテーマでした(もっと前は「国際化」と呼ばれていました)。かねてから国境なき世界経済について論陣を張ってきた大前研一さんがその集大成である『ボーダレス・ワールド』を出したのが1990年、翌年には「シンボリック・アナリスト」が流行言葉になったロバート・ライシュの『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ 21世紀資本主義のイメージ』の和訳本が出ました。
いずれもベストセラーになりました。だから「グローバル化の話は既視感がある」という反応もあるのかと思うのです。しかし、当時と今とでは決定的にちがうことが、少なくとも二つあります。
一つは、これらの著作が主に関心を向けていたのは、個人や組織が国境を自由に超える時代に、はたして国家はどんな役割を負うのか、という問いかけだったように思うのです。1980年代に欧米で主流となった自由主義経済思想の流れを汲んで、国家はもっと小さな政府になるべきだという模索が行われていた時代の議論だったのではないでしょうか。今は国家よりも、個人や組織の側により多くの関心が向けられています。当時から取り上げられていた「残るグローバル化は個人と国家」という抽象的な議論が、いよいよリアルな実例をともなって登場する中で深まっているのだと思います(この本にもコマツやJTをケーススタディとして扱っています)。
もう一つは、新興国の台頭です。1990年代前半に議論の対象となったのは先進国経済、つまり日欧米の話でした。他の地域は「発展途上国」として一括りにされ、議論の俎上に上りもしませんでした。今は様変わりし、2013年には先進国と新興国の経済規模が逆転し、もっと先の2030年には先進国G7と、中国、インド、ブラジル、メキシコ、ロシア、インドネシア、トルコの新興国トップ7のGDPが逆転するという予想がされています。グローバル化とは、グローバル・スタンダードという言葉が想起するような、1990年代前半に思われていたような欧米的価値観の中での出来事ではなく、欧米とは根本的に異なる文明を持つ世界各国とのグローバル化になっていく。倉本由香利さんの『グローバル・エリートの時代』が強調するのは、今まで論じられてきたのとはちがう、新しいグローバル化の現実なのです。