1000回記念スペシャル「からまる」の由来。

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こんにちは、からまるです。

今日はこの日記にとって特別な日なのです。タイトルにあるように、なんと1000エントリー目なのです。我ながらびっくりですよ。

最初のエントリは2008年5月15日です。前身の講談社ホームページのサーバを使ってアップしていたものから、そのあまりの使い勝手の悪さに悲鳴を上げて自力でこのブログを構築したのでした。それから1000回とは、よく続いたよなあ。

もっとも「本日一回休み」というのも入れての1000回ですから、内容らしい内容があったエントリはもっと少ないわけですが、この日記は何も書くネタがなくても会社の休日以外は毎日書くというのをポリシーにして続けきました。だいたい、そうそう面白いブログネタなんてありません。だから面白いネタがあるときしか書かない方針でいくと、結局、1週間に一度も書かなくなってしまうと思ったのです。実際に前身のブログではそうでした。だから、本当に書く時間がないときは「休み」というのもエントリするようにしました。

どんなにつまらないことでも、今日は休むという言い訳でもいいから毎日書く。書くことがないからといってブログにありがちな飲み食いの話は書かず、つまらなくても一応は編集者目線で書けることを書く。これが続けられた理由だと思います。

さて、せっかくの1000回記念なので、「からまる日記」という名称にまつわるネタを一つ。

たまたま飲み会で小っ恥ずかしくも「からまる日記」の話題になったことがありました。そのとき、日本近世史にくわしい、ある方が、「からまるというのは、やはり蔦屋さんのからまる、から来ているんですか」とおっしゃるのです。からまるとお付き合いがある方なら誰でも本名に由来するとわかると思うのですが、その方は学のある「不思議ちゃん」なので、こういう青天の霹靂のような切り口から話を振って来ることもしばしばなのですが、反対に学のないからまるは思わず、「えっ!? それ誰のことでしょう?」と訊いてしまいました。

これをお読みの方はわかるかもしれません。江戸後期の大編集者、蔦屋重三郎の狂歌名だったそうなのです。下記にウィキペディアからコピペしますと、

「蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう、寛延3年1月7日(1750年2月13日)―寛政9年5月6日(1797年5月31日))は江戸時代の版元(出版人)である。朋誠堂喜三二、山東京伝らの黄表紙・洒落本、喜多川歌麿や東洲斎写楽の浮世絵などの出版で知られる。「蔦重」ともいわれる。狂歌名を蔦唐丸(つたのからまる)と号し、歌麿とともに吉原連に属した」

おおーっ、そうだったのか。そんなすごい事実があるとは知らなかった。それにあやかってつけた名称ではないわけですが、蔦屋さんの精神を少しでももらわないといけませんねと改めて思った1000回目でした。

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このページは、karamaruが2012年10月15日 16:13に書いたブログ記事です。

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