「物としての本」と「テキストとしての本」

|
こんにちは、からまるです。

本を持つのがかっこいいと思われた時代がありました。これを言うと、からまるがバブル時代の編集者であることがバレてしまってイヤなのですが、1980年代から1990年代半ばまで、とくにニューアカデミズム系の本は、かっこいいファッションとしての所有の対象でした。からまるもそういう本を作り、いわゆる「想定読者」とはぜんぜん違うタイプの方がその本を買っていくのを書店さんの店頭で見て、驚いたことがありました。

この頃の本は、したがって「物としての本」でもありました。ときどきインテリアを兼ねてホテルや飲食店に置かれることがある美しい装幀の本とは違い、たとえ読まなくても(読めなくても)書棚に置いておきたい本というのがありました。法政大学出版局やみすず書房などが出していたような本ですね。

今はどうでしょう。自分を振り返っても、本そのものに対する物欲はなくなっているように思います。それに代わって、今は「読まれるものとしての本」になっているように感じます。もちろん、本は読まれるために存在するのですが、「読まれる」ことだけを本の存在意味として抽出するならば、それは「物としての本」である必要はまったくなく、「テキストとしての本」というものになるでしょう。

電子書籍が購入されるようになったのは、ソーシャルネットワーク革命があったからだけでなく、「テキストとしての本」の成立がその素地をセットしたようにも思います。そして「物としての本」に対する消費欲があったからこそ、大部数製造を可能にする印刷・製本・流通工程という大規模な装置産業の存在を前提として、出版社の事業が成り立ってきたのでしょうが、本が「テキストとしての本」に代わっていく過程では、変化があるのかもしれません。

......と、日本版キンドルのサービス開始前日に思ったのでした。

このブログ記事について

このページは、karamaruが2012年10月24日 17:08に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「『四〇〇万企業が哭いている』がきっかけの「朝倉亨さんを支援する会」への支援金が100万円突破!」です。

次のブログ記事は「亀井静香元金融大臣が『四〇〇万企業が哭いている』に登場する朝倉亨さんを支援する会の発起人になった理由。」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カテゴリ

月別 アーカイブ

ウェブページ

Powered by Movable Type 6.2.4