2005年1月29日に行われた佐々木毅さんの東大最終講義を聞いたからまるのメモを公開!

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こんにちは、からまるです。

昨日まで学習院大学における佐々木毅さんの最終講義について書いてきたわけですが、じつはからまるは、東京大学における佐々木さんの最終講義も聞いているのです。それは2005年1月29日のことでした。もう8年以上も前のことなんですね。この際なので、そのときにからまるが取ったメモを公開します。いま見返しても、いろいろな気づきを得られます。また、このメモの一部が、2012年3月に刊行することになった『学ぶとはどういうことか』に受け継がれているのです。

     *     *

下部構造からの独自性、政治学にあるのかと経済からは言われた
政治的な現実とは何か?
どんな方法でとらえるか?
「権力をなくす」は眉唾

流行は政治学より思想史
思想史は知的ぜいたく

イデオロギーが現実をつくる
現実の反映ではない
たとえば「新興国」

マキャベリを研究するとは?
素晴らしい現実など見えてこない
→自分の危惧
日本でマキャベリを研究した人はいない
権力が日本でどう見られているのか?
どう作用しているのか?
丸山真男 政治思想史
政治は権力をもつのは常識
70年代は55年体制の安定化→権力があるのは当たり前
...とすると、政治的現実は「変わらないもの」になる
細密画のように解き明かす対象、政治家と政治家が会うことが取材の対象に
儀式化、制度化された安定性の中で政治が行われるようになった
20世紀型システム・冷戦と高度成長によって守られた
牢固な現実、「もの」のように見えてくる
でもそれは、利益や思想が折り重なってできたもの
「現実」の可塑性を忘れてしまう
そういう「現実」への知的違和感があった。「それほどのものなのか?」

どう向かい合うべきか――政治思考
考えたことは、
1 日本政治は国際的文脈の中でどんなものか?
摩擦交渉 政治的限界=自己完結性
2 権力行使のあり方
どう選挙区を満足させているのか?
どういびつか?(権力作用はもともといびつにするから)

政治的現実をよりよいものにできないか?
オールオアナッシングではない、「ある」のではなく「問題を含むもの」が現実

イデオロギー対立から中央と地方の対立へ
当時は制度の問題 古くさい問題 制度の疑問はなかった
制度の疑問を無視=現実を受容する
1989年は絶対になくならないと思ってきたものがなくなると思った年
問答無用のインパクト
政治的サンクチュアリの崩壊
今に至るまでの制度改革が続くと少し変わり過ぎ?

政治的現実は境界線がはっきりしない、「もの」化できない
それに対して、
1 そういうものだ
2 境界線をはっきりさせることが必要
この2の方向でやってきた
政治思想史が役に立った
政治的現実とはいかに多様に見えるかをわからせてくれた

ものを見る→知的な操作が入っている、見えるものしか見えない・見えないことにする
知的徒労感があっても諦めてはダメ

「である」「べきである」の二元論は有害
その間のことを考える「である」の世界は広いはず→丈夫な歯で噛み砕く必要がある
切れる人より頭が丈夫な人が政治学に向く

このブログ記事について

このページは、karamaruが2013年3月22日 20:25に書いたブログ記事です。

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