長谷川幸洋さんが新刊『2020年新聞は生き残れるか』で明かす、メディアが政策をまともに論じられない理由。

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こんにちは、からまるです。

長谷川幸洋さんの新刊『2020年新聞は生き残れるか』について、先週12日のエントリの続きです。すぐれた記者にあって、マスメディア全体にないもの。それは、「政治家が言わない話に迫る」態度だった、と書きました。どういうことなのでしょうか。

新聞記者は、政治家や官僚などの取材相手からネタをもらって記事を書いています。情報を持っているのは取材相手ですから、記者はこのとき、ネタをもらう立場になります。ネタとは、政治家がいろいろな思惑をもって語る話、官僚が推進したいことを記事にしてもらうための政策ペーパーなどの形になっているわけですが、このとき、記者は政治家や官僚の説明をそのまま真に受けて記事を書けばいいのか。そんなはずはありません。

もちろん、記者はみんな多忙です。朝早くから夜遅くまで取材相手の元を走り回り、記者会見に出て会見内容をテープ起こしのようにパソコンに打ち込み(本書によれば、これをトリテキというのだそうです)、必要なメモを本社のデスクに上げなくてはなりません。休憩といったら、夕刊の記事を書き終えた昼休みくらいで、そういう時間帯には記者クラブのソファで記者さんたちが仮眠をとる光景を見ることができます。

でも、だからといって、相手の言い分を鵜呑みにする前に自分の頭で考える記者が少な過ぎないか?と長谷川さんは警鐘を鳴らします。

たとえば、今年の参議院選挙の焦点は景気回復をどう実現するかでしたが、自民党と民主党の政策がどう違うのか、根本のところから書いた記事はあっただろうか、と長谷川さんは疑問を投げかけます。たしかにそうでした。


「メディアが独自に「政党が唱える政策の全体像」を描いてみようとするなら、政党や候補者が語らなかった部分にこそ迫るべきだった。自民党で言えば、アベノミクスの先、つまり「成長についてはわかった。では再分配はどうするのか」と聞く。民主党はその逆だ。「再分配はわかった。では成長をどうするのか」である。つまり双方が言わなかった、あるいは軽視した部分をメディアが追求するのである。私は、それこそメディアの仕事と思う。政党や候補者が言わない、触れない話に迫る。自分たちが独自の立場に立って、相手の政策体系の不十分さ、矛盾点を突いていくのだ」(第3章 なぜメディアは政策をまともに論じられないのか、P97-98)


もし新聞記者がこのように行動しなかったら、記者はジャーナリストではなく、たんなる政府広報機関になってしまいます。というのは、行政機関としての霞ヶ関とは、上司(いちばん上は総理大臣)が言わないことを、わざわざ行う所ではありません。それと一緒になってしまいませんか? かれらが語らないことを聞くのは、ジャーナリストとしての新聞記者の当然の責務だと、からまるは深く頷くのでした。

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このページは、karamaruが2013年11月18日 17:05に書いたブログ記事です。

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