karamaru: 2015年1月アーカイブ

こんにちは、からまるです。

ノンフィクション雑誌「G2」18号の出口治明さんによる「五〇代出直し大作戦 『置かれた場所で咲く』だけで終わるな!」にまつわる話題の続きです。昨日書いたように、出口さんは「50代は実は最強」と考えておられます。

50代は経験を積んでいる。信頼できる仲間がいる。お金を調達する方法を知っている。まだ体力はある。だから起業するにはもってこいだ、というのが出口さんの持論です。論より証拠、日本生命保険の部長職まで務めながら58歳でゼロからライフネット生命保険を起業した方がご自身の体験から唱えるのですから、説得力があります。

サラリーマン人生としての50代は、大きな岐路に立たされます。ラインに乗っているかどうかで、もう勝負はついています。乗っていれば年功序列が支配する大企業でも、とっくに役員になっているでしょう。乗っていなければもうポストはありません。大企業にいれば、それでも過去の栄光で何とか定年まで大過なく仕事を続けられるかもしれませんが、そのように安心できるサラリーマンは少数派でしょう。

しかし、悲観することばかりではありません。多くのサラリーマンは子育てを終えています。これは金融機関出身の出口さんならではの秀逸な表現だと思いますが、人生最大のリスクは子育てにどれくらいお金がかかるかわからないことですから、子育てが終わっているということは、これからかかるお金の見通しが立ち、「リスクはコストになる」というのです。

サラリーマン人生の岐路に立つが、能力的なポテンシャリティーは高く、リスクがコストになっている。だから起業に最適なのが50代であるというのが、出口さんがこの記事で強調されている点です。

そして、現実に50歳で起業した方との対談を行いました。記事に登場するのが、調剤薬局チェーンのクオール株式会社の中村勝社長です。1992年に50歳で起業したときは3店舗だったものを、昨年12月現在で532店舗にまで拡大させ、2015年3月期売上高1128円を見込む東証一部上場の大企業に育て上げました。まさにスーパー50代起業家と言えますよね。からまるももちろん同席しましたが、たくさんメモを取りたくなった、ひじょうに面白い対談となりました。

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週明け月曜日はお休みです。来週火曜日に!
こんにちは、からまるです。

ノンフィクション雑誌「G2」18号で、からまるはビジネス書のベストセラーを連発しているライフネット生命保険会長兼CEOの出口治明さんの記事も担当しています。タイトルは、「五〇代出直し大作戦 『置かれた場所で咲く』だけで終わるな!」。

この企画は、からまるが昨年9月に刊行された出口さんの本『「働き方」の教科書  「無敵の50代」になるための仕事と人生の基本』(新潮社刊)を読んだことから始まります。この本は20代、30代と40代、50代に向けた章があって、必ずしも50代向き限定に書かれているわけではないのですが、サブタイトルの「無敵の50代」という言葉が妙に刺さりまして、書店さんの棚から手に取ったのでした。

その後、たまたま出口さんと懇意にしているライターさんと何度か話す機会がありました。二人で議論していくうちに、「無敵の50代」をメインテーマにした本を出口さんに提案したい、ついては出口さんの考えだけでなく、いつも取材される側の出口さんに、攻守所を変えて、取材する側に回ってもらったら面白いのではないだろうかと、話が盛り上がっていきました。

某月某日、少しだけ時間をちょうだいして、出口さんの執務室で恐る恐るこの提案を話したところ、出口さんから快諾をいただきました。そこから企画がスタートしたのでした。したがって、この企画は「G2」に掲載するためだけのものではなく、初めから本の企画として動いているのです(実際、今朝も新橋で出口さんに取材をしていただきました)。本のおよそ一章分にあたる分量の原稿を掲載する前提で書いてみることができるのが、雑誌のいいところです。
こんにちは、からまるです。

ノンフィクション雑誌「G2」18号に掲載した「袴田秀子手記 死刑囚の弟を救うために捧げた私の48年」についての続きです。

1966年6月に、静岡県の当時の清水市にある味噌製造会社の専務宅を何者かが襲い、一家4人を殺害した挙げ句放火して逃走するという、凶悪極まりない事件が発生しました。強盗殺人放火事件の犯人として逮捕されたのが、袴田巌さんでした。それで「袴田事件」という呼称がつきます。

姉・袴田秀子さんの今回の手記によれば、秀子さんたちご家族が、巌さんが容疑者になっていることを知ったのは夕方のテレビのニュースだったそうです。そのときは「容疑者H」と呼ばれたわけですが、それは大変な衝撃だったようです。

「それを見た瞬間、私は肩の荷がズーンと重くなって、目の前が真っ暗になりました。警察の尾行がありましたし、私のアパートにも警察が来て、置いてあった巌のみそ工場のみそを一つ持って帰っていきました。ですからHは袴田だとすぐにわかりました。今振り返っても、裁判で有罪判決が出たときよりずっと、「容疑者H」が出たときのショックは大きかった......」

その後、巌さんは逮捕され、「自供」することになります。そのこともご家族は夕方のテレビのニュースで知ったそうです。そのとき皆さんは、たまたまお母上がそのニュースを見ていなかったので、テレビを消して、いまはそのことを言わない、と決めました。

「母の体が心配でしたから先にご飯を食べさせたかった。夕飯を食べ終わってから、母に自供のニュースを告げました。母は「世間を狭くして生きていくんだね」と言っていました」

当事者しか語れない言葉ではないかと思います。
こんにちは、からまるです。

G2 Vol18.jpg本日発売のノンフィクション雑誌「G2」18号で、からまるは「袴田秀子手記 死刑囚の弟を救うために捧げた私の48年」という手記企画も担当しています。タイトルからわかるように、昨年3月に静岡地裁で再審開始決定が出て、東京拘置所から釈放された袴田巌さんの姉・袴田秀子さんの独占手記です。

からまるの以前からの知り合いがボクシングをしていまして、その人の知人の編集者が、たまたまからまるが懇意にしている出版プロデュース会社のスターダイバーに入社したのですが、彼女のボクシング人脈で袴田秀子さんを知っていて(袴田巌さんは元ボクサー)、今回の企画につながりました。じつに不思議な縁が重なったものですね。したがって、この企画は彼女が所属するスターダイバーのプロデュースなのです。

彼女の紹介でからまるが袴田巌さんと秀子さんのおふたりに初めてお目にかかったのは、昨年10月中旬のこと。秀子さんが登壇する講演会の控え室でした。秀子さんはすでに80代なのですが、じつにお元気で、張りのある声で理路整然と話をされました。子供時代の記憶もよく、手記を出すなら今だと思いました。その記憶の鮮明さは、手記を読んでいただければ、たちどころに判然とするかと思います。
こんにちは、からまるです。

年3回発行のノンフィクション雑誌「G2」18号が明日、発売となります。からまるは4つの記事を担当しています。

そのうち1つは、昨日の朝日新聞でも宣伝した、「『チーム・ブライアン』には見えていた 羽生結弦 完全復活のウィニングロード」です。筆者はもちろん野口美恵さん。オリンピック・チャンピオンとしてのシーズンインからグランプリファイナルまで、ブライアン・オーサーさんと羽生結弦選手の、中国杯での激突負傷など、じつにいろいろなことがあった激闘の記録が、とくにオーサーさんの肉声をたっぷり聞いて書かれています。

昨年12月1日にカナダ大使館でオーサーさんの『チーム・ブライアン』刊行記者会見を行ったことは、この日記でも何度か書きました。その前日まで大阪府門真市で行われていたNHK杯に来ていたオーサーさんが会見のために1日午前、東京に移動する新幹線に、同じくNHK杯を取材していた野口さんも同乗したのです。羽生選手のグランプリファイナルでの奇跡の復活を支えたオーサーさんの「ユヅルの練習計画」が、この新幹線の中でまとめられたのを、野口さんは直接、見ています。詳しくは明日発売の「G2」18号で!

その他の記事については、明日から書いていきますね!
こんにちは、からまるです。

松本光弘さんの『グローバル・ジハード』について一昨日のエントリで書きました。「イスラム国」関連でいま多数の本がぞくぞくと出版されていて、各出版社とも、昨年夏にイラク北部の大都市をイスラム国が制圧したときから、しかるべき専門家の方々に執筆の依頼をしていたのでしょうね。

そのうちの一冊、今月中旬に出た池内恵さんの『イスラーム国の衝撃』(文春新書)を読んでいましたら、松本さんの『グローバル・ジハード』が数少ない日本語の参考文献のひとつとされ、第二章の「イスラーム国の来歴」で紹介されています。松本さんがアルカイダとその関連組織の関係について、1「正統アルカイダ」、2「アルカイダ星雲」、3「勝手にアルカイダ」の三つに分類して分析しているところです。

イスラム国だけ見ているのでは、いま世界で起きている事態の本当の姿は見えないという方々もいます。シャルリー・エブド銃撃事件が起きたパリでは、低成長下での経済格差の固定化が読み取れるトマ・ピケティさんの『21世紀の資本』が大ベストセラーになりました。現在の経済体制と国民国家の枠組みにいる限り、永遠に幸福になれないと考える人々がいると指摘するレポートもあります。

今まで誰もが怪しまなかった制度そのものが、複雑なきしみを起こしているのかもしれません。今後、仕事のテーマのひとつにしようと思っています。

こんにちは。からまるです。

2009年6月に刊行した小宮一慶さんの『一流になる力 ビジネスで勝ち残るための教科書』が文庫になって再登場します。といっても講談社の文庫ではなく、KADOKAWAグループの「中経の文庫」から。今月末発売になるそうです。

タイトルは『一流に変わる仕事力』に変わりました。親本刊行から5年半経っているわけですが、この本には仕事に取り組む際の基本の基本が書かれているので、内容が古びることはないですね。仕事の土台をどうやって作るか、「プリペアード・マインド」がいかに大事か。ひとつひとつの項目を噛みしめるように読んでいただればありがたいと思います。

一流と三流に二極化するという当時の小宮さんの認識は、今後ますます正鵠を射るものになっていくのでしょう。うかうかしてはいられないな、と改めて考える、いい機会になりました。

昨日書き忘れてしまったので、本当は昨日書くはずだったネタを。ブライアン・オーサーさん『チーム・ブライアン』の書評が、いま出ている「Number」869号の「新刊ワンショット時評」に載っています。

タイトルは「教えるという行為に悩む人へ。~羽生結弦と『チーム・ブライアン』~」。書いてくださったのは幅允孝さんです。「ちょっと謙虚すぎやしないかい、ブライアン・オーサーよ」という書き出しがとても印象的でした。
こんにちは、からまるです。

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昨日はバタバタしすぎていて、日記を書くのをまったく失念してしまいました! すみませんです<(_ _)>

イスラム国が、拘束していた二人の日本人を、もし日本政府が身代金として2億ドルを支払わなければ殺害すると伝える映像を配信したと、昨日から報じられています。日本もイスラム国の過激主義と無縁で国際社会に生きることはできないという当たり前の事実が、改めてこうして突きつけられたように思います。

からまるは2008年12月に、当時、国際テロ対策に当たっておられた警察庁キャリア官僚の松本光弘さんの『グローバル・ジハード』という本を出しました。主にアルカイダについて分析された本で、今月、パリの週刊紙発行会社を襲った事件で犯行声明を出した「アラビア半島のアルカイダ」のことに触れています。イスラム原理主義の源流や、過激主義が台頭するプロセスなどが描かれていて、参考になるかと思います。
こんにちは、からまるです。

虚構の法治国家.jpg
郷原信郎さんと森炎さんの『虚構の法治国家』の短評を、佐藤優さんが今日発売の「週刊ダイヤモンド」1月24日号の連載「知を磨く読書」欄で書いてくださいました。どうもありがとうございます<(_ _)>

有罪率99.9パーセントという現実の上にある「(裁判官は)たとえ一切の権力的思惑を離れて純粋に白紙の姿勢で臨んだとしても、1000件のうち999件は有罪判決を書くことになる」という元裁判官の森炎さんの発言を引用して、

「このような現実では、無罪判決を書いた場合、裁判官が負うリスクが高くなり過ぎる。冤罪を生み出すのは刑事司法の構造にある」

と書いておられます。
長い打ち合わせやら何やらでお休みです。また来週に!
こんにちは、からまるです。

自社本の宣伝めいて恐縮ですが、先月刊行された若杉冽さんの『東京ブラックアウト』が面白いですね。大ベストセラーとなった前作『原発ホワイトアウト』の続編のような位置づけの小説で、著者は覆面のキャリア官僚です。

からまるが読んで、なんといっても面白かったのが、天皇陛下と元警視総監だった原子力規制庁長官(この役職はまだ一人しかいないので、検索すればすぐに池田克彦さんがモデルとわかるわけですが)との対話の場面です。描写が細かくて妙にリアルですね。どうしてここまで書けたのだろう、と思わせてくれます。

原発再稼働後に事件が起こって以降のストーリー展開は、まあかなりハチャメチャではあります。しかし、法律に熟知している方が想像力の羽を精一杯広げると、たしかにこんなハチャメチャな展開になり得るのでしょうね。読後になんとも言えず苦い味がします(いい意味で)。
こんにちは、からまるです。

先週発売した郷原信郎さんと森炎さんの共著『虚構の法治国家』は、死刑確定したにもかかわらず冤罪であることが明白になった事件についての、現場からの総括でもあります(第二章)。

この部分の対談を読んでいると、本当に背筋が寒くなりますね。しかし、お二人は、現場の裁判官にも検察官にも冤罪事件を調べる時間などなく、したがってどうして冤罪が生まれるのか、その歴史も実際の出来事も、現場はよく知らないのだとおっしゃっています。元裁判官の森さんは、「私は、現役の時には、冤罪支援運動など、すべて間違いと思っていました」と述べておられます(p44)。

しかし、もっと恐ろしいのは、森さんが「日本の冤罪は、誤判というより、冤罪性をわかったうえで有罪にされている疑いがあることです」とおっしゃる事実です(p48)。

その疑いの詳細が、著名な冤罪事件をお二人が分析する中で徐々に明らかになっていくので、そこは本書で読んでいただかなくてはなりませんが、裁判官が冤罪性を承知した上で判決を書いているのだとしたら、これはもう絶望以外の何物でもありません。
こんにちは、からまるです。

世界を操る支配者.jpg
昨年10月17日に刊行した馬渕睦夫さんの『世界を操る支配者の正体』も、愛読者カードのリターン率が異常に高い本なのです。お書きいただきました皆さん、本当にどうもありがとうございます<(_ _)>

愛読者カードを拝見しますと、同じテーマ設定の他の本に比較して、馬渕さんの情報発信力の高さに注目している方が多いようですね。まさにそれもポイントの一つ。担当編集者としては、これはとてもうれしい評価です。

最新の愛読者カードには、「ほんとうによくここまで書いて下さいました。その勇気に最大の敬意を表します」とありました。それに加えて、「出版社御中」とあって、

「よく出版を決断してくれました。お陰で目からウロコ!です。今後も頑張って下さい」。

くーっ、うれしい。疲れも吹き飛びますね。もちろん、頑張りますよ!!
こんにちは、からまるです。

郷原信郎さんと森炎さんの共著、『虚構の法治国家』について、昨日のエントリの続きです。

「裁判官ならわかってくれる」という淡い期待を見越すように取り調べの検事から放たれる「言い分は裁判所で言えばよい」。それによって、過酷な取り調べから一刻も早く逃れたいと考える被疑者が供述調書に署名することになったとします。これが「虚偽自白」の一つの温床になると、元検事の郷原さんはおっしゃいます。

「虚偽自白というのは、まず事実と異なる供述調書に署名するということですが、その動機として、取り調べ担当の警察官、検察官に、いくら弁解しても聞いてもらえない、調書には署名をして、公判になったら裁判官に言い分を聞いてもらおうと考えることになります」(郷原信郎、p37)

しかし、以前からよく言われるように、日本の有罪率は99.9パーセント。「裁判官は真摯に話を聞いてくれ、わかってくれる」という期待は、もともと打ち砕かれるようになっているのです。元裁判官の森さんは、このようにおっしゃいます。

「いざ公判になったら、99.9パーセント有罪なのですからね。結果的には、一種の詐術にかかっています」(森炎、p37)

検事の取り調べ方針に添った供述調書に署名しないと身柄拘束を解かない「人質司法」、さきほど書いた「虚偽自白」。そうしたシステムの上に成り立った「有罪率99.9パーセント」なら、真に無実の人間にとっては空恐ろしい司法システムです。それを森さんは、こうも表現されます。

「有罪率99.9パーセントは、真実に触れず、かつ触れさせないシステム」(森炎、p39)

本書のタイトルにある「虚構」の姿が見えてくるのではないでしょうか。『虚構の法治国家』は本日発売です!
こんにちは、からまるです。

郷原信郎さんと森炎さんの共著、『虚構の法治国家』で元裁判官の森炎さんが描く、裁判官の方々が抱く複雑なコンプレックスの話。その微妙な精神はどこから来たのかというと、戦前の司法制度にあるそうなのです。

戦前の日本では、裁判官の人事権は司法省が握っていました。その司法省人事課を押さえていたのは検事畑(当時は裁判官と検察官の人事上の身分が固定的ではなく、両者の間で入れ替わりがあったそうで、判事畑、検事畑という言い方をされていたとのこと)の人々で、その支配体制は「検事閥」と呼ばれました(p26)。

「判事畑」の人々が司法省の重要ポストに就く割合が低かったのに対して、検事閥の有力者はどんどん出世していく。


森「検事畑の大立て者であった平沼騏一郎は、司法大臣を経て総理大臣になっています。判事畑と検事畑の違いは、歴然としており、検事閥が人事権を握っていただけでなく、判事畑は二流だったのです」

郷原「エリート意識の点でも、裁判官は二流という感覚があったということですか」

森「ええ。(中略)一番重要なことは、それが戦後も引き継がれているということです。その意識や精神風土が敗戦を経ても変わっていないのですね。(中略)それを端的に表しているのが公職追放の統計で、戦後、公職追放となった裁判官はゼロ、検察官は34人だけでした」(p26-27)


検察官一流、裁判官二流という意識。からまるも両者の間にこのような心情が横たわっているとは思いもしませんでした。元裁判官と元検事の対談だからこそ浮上した事実ではないでしょうか。

からまるも仕事で関係した裁判で思ったことがあります。被告とされた側が懸命に主張しても、どうして裁判官は検事の論告通りの判決しか出さないのか。もちろん、検事にその通りの調書を取られているから、と言われてしまうケースもあるのでしょうが、しかし、一般の人は、なんとなく裁判官のほうが検事よりもエラいもの、検事よりも博識で英知を尽くして判断してくれるもの、という期待があるのだと思います。

「裁判官ならわかってくれる」。この淡い期待が、どれだけひどい絶望を生むのか。このことも本書の対談は明かしていきます。
こんにちは、からまるです。

虚構の法治国家.jpg
元検事の郷原信郎さんと元裁判官の森炎さんの共著、『虚構の法治国家』が間もなく発売です。

からまるは郷原さんとは以前からお付き合いいただいているので、検察の問題にはある程度、知識があったのですが、裁判官の方の本音は初めてうかがうので、森炎さんのお話には驚くことばかりでした。

森さんは、検察と裁判所の関係は、検察という「巨人」に「寄生虫」たる裁判所がもたれこんでいるのだとおっしゃいます。


「「裁判官は検察官の言いなりになっている」という批判は、巷間よく聞かれるところで、もちろん裁判官もそれを耳にしています。実際は、消極的に言いなりになっているだけではなくて、もっと積極的に検察に寄りかかっているわけですから、裁判官のほうではそういうふうに言われても、何も感じないのです」(森炎、p17)


その心性はしかし、判決を書くときの裁判官に、からまるたち一般人が思いも寄らぬ影響をもたらすようです。


森「裁判官のモチベーションは、有罪判決をいかにうまく書くかということになります」(中略)

郷原「有罪判決をうまく書くというのは、検察官よりも上手な法律構成をして有罪に持っていくということですか」

森「そういうことです。微妙な事件や検察が十分に法律構成し切れなかった事件を証拠評価上あるいは法律構成上、うまい理屈につけて「見事な」有罪判決を書くということです。そして、それをすることによって、理屈の面では検察官に優ったと、プライドの点でも、それなりに満足できるわけです」(p18-19)


検察の言いなりと評されても、そのことには何の痛痒も感じず、検事が「ほほう」と感心しそうな「見事な有罪判決」を書く。これが裁判官のプライドだとしたら、彼らは何と複雑なコンプレックスを抱えて生きているのでしょうか。それには歴史的な要因もあると、お二人はおっしゃいます。
新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

この日記をご覧の皆さんはきっと、良い新年をお迎えになったことと思います。ところがからまるは昨日、仕事始めで出社して娑婆の空気にあたった途端、風邪気味になってしまいました。会社に向いていない証拠ですね。そのため昨日はこの日記を書けませんでした。

正月中の新聞に面白いコメントが載っていました。川上量生ドワンゴ会長のもので、朝日新聞の求人欄にある「仕事力」という連載での談話(1月4日付)。

「僕の企画はいつも、世の中の流れの「次」を狙うのではなく、全くかけ離れた「別」を狙うので、社員には無謀に映るらしい」

ニコニコ動画を社員に提案したときも、「その瞬間からみんな凍りついていました」。

あのニコニコ動画は「次」ではなく「別」だったんですね。でもその「別」が現在のメインロードになっている。とても痛快です。からまるもそういう気持ちで今年一年を走り抜こうと思っています。どうぞよろしくお付き合い下さい<(_ _)>

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