当事者しか語れない言葉があふれる「G2」18号「袴田秀子手記」

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こんにちは、からまるです。

ノンフィクション雑誌「G2」18号に掲載した「袴田秀子手記 死刑囚の弟を救うために捧げた私の48年」についての続きです。

1966年6月に、静岡県の当時の清水市にある味噌製造会社の専務宅を何者かが襲い、一家4人を殺害した挙げ句放火して逃走するという、凶悪極まりない事件が発生しました。強盗殺人放火事件の犯人として逮捕されたのが、袴田巌さんでした。それで「袴田事件」という呼称がつきます。

姉・袴田秀子さんの今回の手記によれば、秀子さんたちご家族が、巌さんが容疑者になっていることを知ったのは夕方のテレビのニュースだったそうです。そのときは「容疑者H」と呼ばれたわけですが、それは大変な衝撃だったようです。

「それを見た瞬間、私は肩の荷がズーンと重くなって、目の前が真っ暗になりました。警察の尾行がありましたし、私のアパートにも警察が来て、置いてあった巌のみそ工場のみそを一つ持って帰っていきました。ですからHは袴田だとすぐにわかりました。今振り返っても、裁判で有罪判決が出たときよりずっと、「容疑者H」が出たときのショックは大きかった......」

その後、巌さんは逮捕され、「自供」することになります。そのこともご家族は夕方のテレビのニュースで知ったそうです。そのとき皆さんは、たまたまお母上がそのニュースを見ていなかったので、テレビを消して、いまはそのことを言わない、と決めました。

「母の体が心配でしたから先にご飯を食べさせたかった。夕飯を食べ終わってから、母に自供のニュースを告げました。母は「世間を狭くして生きていくんだね」と言っていました」

当事者しか語れない言葉ではないかと思います。

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このページは、karamaruが2015年1月28日 16:29に書いたブログ記事です。

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