一般人には理解しがたい複雑なコンプレックスを抱く、裁判官という人たち。

|
こんにちは、からまるです。

虚構の法治国家.jpg
元検事の郷原信郎さんと元裁判官の森炎さんの共著、『虚構の法治国家』が間もなく発売です。

からまるは郷原さんとは以前からお付き合いいただいているので、検察の問題にはある程度、知識があったのですが、裁判官の方の本音は初めてうかがうので、森炎さんのお話には驚くことばかりでした。

森さんは、検察と裁判所の関係は、検察という「巨人」に「寄生虫」たる裁判所がもたれこんでいるのだとおっしゃいます。


「「裁判官は検察官の言いなりになっている」という批判は、巷間よく聞かれるところで、もちろん裁判官もそれを耳にしています。実際は、消極的に言いなりになっているだけではなくて、もっと積極的に検察に寄りかかっているわけですから、裁判官のほうではそういうふうに言われても、何も感じないのです」(森炎、p17)


その心性はしかし、判決を書くときの裁判官に、からまるたち一般人が思いも寄らぬ影響をもたらすようです。


森「裁判官のモチベーションは、有罪判決をいかにうまく書くかということになります」(中略)

郷原「有罪判決をうまく書くというのは、検察官よりも上手な法律構成をして有罪に持っていくということですか」

森「そういうことです。微妙な事件や検察が十分に法律構成し切れなかった事件を証拠評価上あるいは法律構成上、うまい理屈につけて「見事な」有罪判決を書くということです。そして、それをすることによって、理屈の面では検察官に優ったと、プライドの点でも、それなりに満足できるわけです」(p18-19)


検察の言いなりと評されても、そのことには何の痛痒も感じず、検事が「ほほう」と感心しそうな「見事な有罪判決」を書く。これが裁判官のプライドだとしたら、彼らは何と複雑なコンプレックスを抱えて生きているのでしょうか。それには歴史的な要因もあると、お二人はおっしゃいます。

このブログ記事について

このページは、karamaruが2015年1月 7日 14:12に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「「次」ではなく「別」。」です。

次のブログ記事は「本省でどんどん出世していく「検事畑」、重要ポストに恵まれない「判事畑」の心性が今も!?」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カテゴリ

月別 アーカイブ

ウェブページ

Powered by Movable Type 6.2.4