自分の中に裁判官を持つということ。

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こんにちは、からまるです。

仕事の資料として読んだ木暮太一さんの『アダム・スミス ぼくらはいかに働き、いかに生きるべきか』(2014年9月、日経ビジネス人文庫)は実に面白かったですね。『道徳感情論』と『国富論』をつなげて紹介し、この二作に貫くアダム・スミスの思想をコンパクトに、わかりやすく抽出しています。本質をきちんとつかんでいないと書けない、常人にはできない仕事だと思いました。

そこに出てくる印象的な言葉の一つが、「自分の中の裁判官」です。木暮さんはスミスの『道徳感情論』の一節を意訳して、次のように書いています。

「自分の中の裁判官に背くと、必ず自己非難に苦しむことになる。反対に、それに従って行動していれば、充足の気持ちを得られる」

人間は世間から自分がどう見られているか気にするものだし、皆からの共感が欲しいもの。だから自分の行為が評価されればうれしいけれど、その行為が本当に評価に値するものかどうかは自分自身がいちばんよく理解している。だから、どんなに世間から賞賛されようとも、「自分の中の裁判官」に従って自分では評価できないと判断するものについてはけっして喜ばないなら、その人こそ賢人であり、心の平静を得られるそうなのです。

純粋に経済学者であったアダム・スミスの思想の中から、こうして木暮さんは「幸福論」をつかみ取ります。先日のエントリで紹介したクレイトン・M・クリステンセンさんの『イノベーション・オブ・ライフ』は経営学から得られた幸福論でした。アプローチは違いますが、「幸福な人生」を非スピリチュアルに捉えようとする姿勢に、からまるは共感します。

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このページは、karamaruが2015年5月26日 16:43に書いたブログ記事です。

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