「僕は、生まれてきちゃいけなかったのかな」と小泉進次郎さんが感じた日。

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こんにちは、からまるです。

一昨日のエントリの続きです。世襲議員批判が世間に沸騰したことで始まった候補者公募制度。では現在、二世三世議員の人たちは、まったくダメなのでしょうか。そんなことはないですよね。筆頭格は小泉進次郎さんです。部会長を務めた自民党農林部会での全農改革の全貌がわかる『小泉進次郎と福田達夫』(田崎史郎・著、文春文庫)、自民党「2020年以降の経済財政構想小委員会(通称・小泉小委員会)」での議論を採録した『人生100年時代の国家戦略』(藤沢烈・著、東洋経済新報社)を読むと、きちんと法案になり得る議論を、哲学と政治的実践の両方からとりまとめていることがわかります。誰もがアッパレな仕事ぶりと思うのではないでしょうか。

小泉進次郎さんが初当選したのは、2009年夏の総選挙でした。民主党が308議席を獲得し、自民党が下野したときですね。自民党の新人議員は小泉さんを含め、たったの4人しか誕生できませんでした。その同期で「四志の会」を作っていることは有名です。

その初当選時の選挙戦の様子を、『小泉進次郎と福田達夫』で小泉さんはこう語っています。

「あれだけ世襲で批判されて、そして自民党だということだけで批判されて、しかも相手の候補は地盤看板カバンなしという、反世襲の設定で挑んできた。僕は、生まれてきちゃいけなかったのかなとか、そういったことを考えるぐらい、落ち込みました。街に出るのが怖かったですよ。ほんとに名刺も受け取ってもらえない。破られる。足を踏まれる。どつかれる。ペットボトルを投げつけられる。唾を吐かれる。なんかごめんなさいじゃないけど、僕はそんなにダメなんですかっていう気持ちになった」(p34)

今の超人気ぶりから見ると、まさかそんなことがあったなんてと思えるような出来事です。でも実際にあの頃はそうでした。そして世襲の麻生太郎総理に代わって生まれた総理が、これまた世襲の鳩山由紀夫さんなのですから、ずいぶんむなしい批判だったような気もします。また、このときの厳しい世襲批判が、後の小泉さんの仕事への邁進ぶりに結びついているのは、『小泉進次郎と福田達夫』を読むと容易にわかります。

もちろん、世襲だからダメではないのと同じように、公募だからダメだと決めつけるのはヘンだと思います。しかし、現実に見えているのは、世襲議員が己を律している姿と、公募議員の品性のなさなのではないでしょうか。

世襲議員の人知れない苦労は、政治家の家庭事情を知ると理解が及びます。2月に刊行する『プロ秘書だけが知っている永田町の秘密』で担当のからまるが最も気に入っているのは、じつは政治家の家族について書かれた章なのです。その部分は、来週、ご紹介しましょう。

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このページは、karamaruが2018年1月19日 11:51に書いたブログ記事です。

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